三鷹で賃貸物件をお探しのみなさま。
こちらは「ジブリ美術館」が有名な地域ですが、実は太宰治が生涯を終えるまでの約7年半を過ごした地でもあります。
三鷹の街並みは当時とは変化していますが、その面影は現在でもあらゆる場所で感じることができます。
そこで今回は、太宰治と三鷹の関係についてご紹介いたします!
太宰治は今年で生誕110周年!三鷹との関係は?
太宰治は1909(明治42)年6月19日に青森県で生まれ、今年で生誕110周年になります。
出身は青森ですが、1930年に東京帝国大学に入学するために東京へやってきます。
最初は本郷で暮らしていましたが、1939年の30歳の時に三鷹へ転居し、終生の住まいとしました。
太宰の作品といえば「走れメロス」や「人間失格」などが有名ですが、井の頭公園など三鷹の街並みが登場する「帰去来」や「花吹雪」という題名の創作集も残しています。
戦時中は津軽へ疎開しましたが、終戦後には再び家族で三鷹に戻るなど、彼にとって大切な街だったことが窺えます。
ちなみに、現在生誕110周年を記念して、蜷川実花が監督をつとめる「人間失格 太宰治と3人の女たち」という映画も上映中なので、ぜひ観てみましょう!
太宰治が愛した三鷹にゆかりの地は残っている?
では、現在でも三鷹市に残っているゆかりの地をご紹介いたします!
<ゆかりの地1:禅林寺>
まずご紹介するのは「禅林寺」です。
こちらは敷地内に太宰治が眠っているお墓があり、「花吹雪」にも登場するお寺です。
彼は「この地で埋められたら死後の救いがあるかもしれない」と作品で述べており、近くには彼が尊敬した森鴎外のお墓もあります。
誕生日であり命日でもある6月19日には、全国からたくさんのファンがお墓参りに訪れるスポットです。
<ゆかりの地2:跨線橋(こせんきょう)>
続いてご紹介するのは「跨線橋(こせんきょう)」です。
こちらは三鷹駅から線路沿いを5分ほど歩いたところにある陸橋です。
実は、こちらは太宰が実際に歩いた陸橋で、当時の街並みが残っている貴重なスポットなのです。
彼はここから見える景色がお気に入りで、橋の上から富士山を眺めたり、友人や来客に紹介したりしたそうです。
現在では夕日が綺麗で電車がよく見えるので、鉄道ファンからも人気があります。
ぜひ、彼と同じ目線で陸橋からの景色を見てみましょう!
まとめ
いかがでしたでしょうか。
三鷹は発展しており暮らしやすいですが、どこかノスタルジーを感じられるので、読書が趣味の方はもちろん、落ち着いた街での暮らしをご希望の方にもおすすめです。
ぜひ、文豪が愛した街での暮らしをご検討ください。
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